総領事からの御挨拶
令和7年1月1日
新年、明けましておめでとうございます。
2023年9月末の着任以来、時間の許す限り、広東、福建、広西チワン族自治区、海南の各地を訪問いたしました。各地の皆様と意見交換するとともに、工場やオフィスの視察もさせていただきました。2024年は試練の多い一年でした。中国の厳しい経済情勢と電気自動車の躍進、自動化・智能化あるいは低空経済の発達といった中国市場の急速な変化の中で、日系各社の皆様の奮闘ぶりには本当に頭が下がる思いです。また、天皇誕生日祝賀レセプションをはじめ日中交流のイベントにも多くの企業・団体の方々のご支援をいただきました。心より御礼申し上げます。
このような中で、9月に深圳日本人学校の児童が襲われお亡くなりになるという悲しく痛ましい事件が発生してしまいました。決してあってはならなかったことであり、中国に滞在する全ての邦人の安全を根底から揺るがす事件でした。失われた命、今後もずっと喪失の痛みを抱えなくてはならない御遺族や親交の深かった方々のお気持ちを胸に刻み、総領事館は引き続き全力で中国の関係政府機関に対して再発防止の徹底を求め、真実が明らかになるよう司法手続きの厳正な遂行を求めていきます。同時に、日本人学校をはじめとする在留邦人の安全対策を可能な限り講じて、安全を確保してまいります。
では、2025年はどういう年になるでしょう。
今年の予想をたてるのはおこがましいので、ここで日本と華南地域の歴史を振り返り、日中関係の今後を展望したいと思います。中国で日中交流に貢献のあった歴史上の人物として常に挙げられるのが鑑真和尚と隠元禅師であり、日本人なら空海の名前が挙がります。福建、広東、海南にはこの3名の足跡が少なからず残っています。明や清の時代は海外貿易の唯一の窓口が広州だったこともあり、日中貿易に携わった多くの人は広東人だったと思われます。加えて、琉球使節が度々福州を訪問し事実上の貿易を行っておりました。そのため、日本が開国した直後の横浜や神戸の中華街を建設したのも、福建人と広東人が中心でした。そうした人脈にも頼って、清朝末期には多くの中国の若者が日本に留学しましたが、その中には自然と福建や広東出身者が多くなったようです。2025年は孫文逝去100周年ですが、孫文の度々の亡命先も日本であり、その背景には、多くの地縁の支援者が日本に居たという事情もあります。1911年の辛亥革命の頃、既に広州には日本留学帰国者が毎年200名ほど集まって新年会をしており、彼らは数年後の1914年、現在も存続する広州留東同学会という同窓会組織を設立しています。国交正常化の後、鄧小平が改革開放の号令をかけ、その先行モデル地となったのが深圳でした。中国の中で、これほどまでに、日本との長い交流の歴史を持ち、日本とのビジネス関係の重要性を知る人々の集まる地域があるでしょうか。
中国と日本の間の経済関係は切っても切れない関係にあり、貿易投資の重要性を最も理解している華南の中国の人々とのつきあいは、1、2年の短期的な経済、政治の浮き沈みで切れるものではないことを、改めて強く思う次第です。とは言え、日中間の波は高い日々が多くあるのも確かです。強い意志を持ち、長期的な視野に立って、一つずつ波を乗り越えていく他ありません。当館としても、日系企業支援、日中両国の相互理解・交流促進のため、文化、経済、教育、領事等のあらゆる分野において、本年も引き続き全力を尽くしてまいります。また、皆様の声に耳を傾けるべく、積極的に各地を訪問し続けますので、どこかでお会いできるのを楽しみにしております。
2025年は巳の年です。蛇は脱皮を繰り返して成長することから、成長や生命力の象徴となっております。この新しい年の皆様のご健康とご発展を心からお祈り申し上げます。
2023年9月末の着任以来、時間の許す限り、広東、福建、広西チワン族自治区、海南の各地を訪問いたしました。各地の皆様と意見交換するとともに、工場やオフィスの視察もさせていただきました。2024年は試練の多い一年でした。中国の厳しい経済情勢と電気自動車の躍進、自動化・智能化あるいは低空経済の発達といった中国市場の急速な変化の中で、日系各社の皆様の奮闘ぶりには本当に頭が下がる思いです。また、天皇誕生日祝賀レセプションをはじめ日中交流のイベントにも多くの企業・団体の方々のご支援をいただきました。心より御礼申し上げます。
このような中で、9月に深圳日本人学校の児童が襲われお亡くなりになるという悲しく痛ましい事件が発生してしまいました。決してあってはならなかったことであり、中国に滞在する全ての邦人の安全を根底から揺るがす事件でした。失われた命、今後もずっと喪失の痛みを抱えなくてはならない御遺族や親交の深かった方々のお気持ちを胸に刻み、総領事館は引き続き全力で中国の関係政府機関に対して再発防止の徹底を求め、真実が明らかになるよう司法手続きの厳正な遂行を求めていきます。同時に、日本人学校をはじめとする在留邦人の安全対策を可能な限り講じて、安全を確保してまいります。
では、2025年はどういう年になるでしょう。
今年の予想をたてるのはおこがましいので、ここで日本と華南地域の歴史を振り返り、日中関係の今後を展望したいと思います。中国で日中交流に貢献のあった歴史上の人物として常に挙げられるのが鑑真和尚と隠元禅師であり、日本人なら空海の名前が挙がります。福建、広東、海南にはこの3名の足跡が少なからず残っています。明や清の時代は海外貿易の唯一の窓口が広州だったこともあり、日中貿易に携わった多くの人は広東人だったと思われます。加えて、琉球使節が度々福州を訪問し事実上の貿易を行っておりました。そのため、日本が開国した直後の横浜や神戸の中華街を建設したのも、福建人と広東人が中心でした。そうした人脈にも頼って、清朝末期には多くの中国の若者が日本に留学しましたが、その中には自然と福建や広東出身者が多くなったようです。2025年は孫文逝去100周年ですが、孫文の度々の亡命先も日本であり、その背景には、多くの地縁の支援者が日本に居たという事情もあります。1911年の辛亥革命の頃、既に広州には日本留学帰国者が毎年200名ほど集まって新年会をしており、彼らは数年後の1914年、現在も存続する広州留東同学会という同窓会組織を設立しています。国交正常化の後、鄧小平が改革開放の号令をかけ、その先行モデル地となったのが深圳でした。中国の中で、これほどまでに、日本との長い交流の歴史を持ち、日本とのビジネス関係の重要性を知る人々の集まる地域があるでしょうか。
中国と日本の間の経済関係は切っても切れない関係にあり、貿易投資の重要性を最も理解している華南の中国の人々とのつきあいは、1、2年の短期的な経済、政治の浮き沈みで切れるものではないことを、改めて強く思う次第です。とは言え、日中間の波は高い日々が多くあるのも確かです。強い意志を持ち、長期的な視野に立って、一つずつ波を乗り越えていく他ありません。当館としても、日系企業支援、日中両国の相互理解・交流促進のため、文化、経済、教育、領事等のあらゆる分野において、本年も引き続き全力を尽くしてまいります。また、皆様の声に耳を傾けるべく、積極的に各地を訪問し続けますので、どこかでお会いできるのを楽しみにしております。
2025年は巳の年です。蛇は脱皮を繰り返して成長することから、成長や生命力の象徴となっております。この新しい年の皆様のご健康とご発展を心からお祈り申し上げます。
2025年1月1日
在広州日本国総領事
貴島 善子
在広州日本国総領事
貴島 善子
総領事からの御挨拶(2025年1月1日)